page(8)6夜十時過ぎ。 巧と亮介、希色の三人は希色の家までの夜道を歩いていた。十一月に入ると、外はひんやりして肌寒い。 住宅地らしく、辺りはしんと静まり返っている。雨も再び降り出した様子もなく、道路も乾いてきていた。この分だと、明日は晴れかもしれない。 「ごめんね、私、いつの間にか…」 頬を赤らめて謝罪をする希色。実際は彼女に悪いところなど何もなかったのだが。 「いやいや、気にしなくていいって。疲れてたんだよ、きっと」 巧は真実がばれないよう、ごまかしの言葉を作る。 「でもね、変な夢を見たっていうか…すごくリアルだったんだけど、鏡の中からもう一人の私が出てきたの…!私の目の前に顔が近づいて。もう恐くて…」 希色は先ほどの事件を思い出し、赤らめていた表情を今度は青ざめていく。 よほど恐かったのだろう。そのことは意識を失ったことからもわかったが、希色を家まで送ると言った時には心底嬉しそうだった。 「えっ!?そんなことが?…それは恐いね~」 やっぱ覚えてたんだ…。 巧は、バレるのも時間の問題だと言っていたロイキの言葉を思い出した。 希色ちゃんを送って、帰ってからミックたちにどうやって事実を希色ちゃんに伝えればいいか相談してみよう。 ただ、せめて今夜だけは混乱させるようなことはしたくない。そのためにはどう返事をしていいものやら。 意識をすると返って墓穴を掘りそうで、巧が返事に詰まっていると、亮介が 「立花さん大丈夫だって!実際んなこと起こってないから。タクの話聞いたり、もう一人のタクを見たりしたからそういう夢見たんだって」 とフォローを入れた。 しかし希色の不安げな表情は変わらない。 「でも…ほんとに夢だったのかな…。巧くんのことを思うとこんなこと言ったら失礼だけど…もしあれが本当だったら、私、恐い…」 そこまで言ってしまうと、希色は歩んでいた足を止め、今にも泣き出さんばかりに両手で顔を覆った。 「希色ちゃん…」 このような状況にあまり遭遇したことのない巧。一瞬どうしたらよいか視線が泳いでしまったが、希色の様子を見るとたまらなくなって、希色の正面にまわって向かい合わせになると、言葉を選ぶように言った。希色はうつむいたままだ。 「もし本当にそんなことが起きても、大丈夫。俺と…亮介もいるし、みんな一緒だったら乗り越えられるよ。っていうのも、希色ちゃんがそう言ってくれたから俺、今平気で居られるんだと思う。あの時、協力してくれるって言ってくれた時は、本当に心強かったんだ」 希色はそれを聞くと、えっとちいさく声を発して、顔を上げると巧と視線を合わせた。 「希色ちゃんは強いなって思った。もし本当にもう一人の希色ちゃんが現れたとしても、その意気でガツンと言っちゃえば大丈夫だよ!…それにさ、そんなに恐がることじゃないよ。ミックを見たでしょ?きっと悪い奴じゃないよ」 「そうそう、問題ないって!逆に楽しくなるかもよ?」 亮介も一言添えて笑い飛ばす。 「巧くん…浅葱くん…」 希色は巧と亮介を交互に見て、ゆっくりと目ばたきをした。 巧は希色の目を潤ませた表情を見ながら、こんなことを言っておいて果たしてそれは希色のためになることだったのかと不安になった。しかしその不安は希色が笑顔を見せてくれたことで、すぐに拭われた。 「ありがとう…!すごく安心したよ。ごめんね、取り乱しちゃって…。巧くんの家ではあんな風に言ってたけど、ほんとはやっぱり恐かったんだ。でも、巧くんのことを思ったら、私が助けてあげなきゃって思って…」 「俺達も、同じ気持ちだよ。希色ちゃんが困ってたら、絶対力になるからさ」 巧は言いながら、夢の話が事実であることを伝えた後でも、希色はまた笑顔に戻ってくれるだろうかと思う。 希色はそのような巧の胸の内も知らず、笑顔で応える。 「うん、ありがとう。本当にごめんね、実際に起きたわけじゃないのに…あんなリアルな夢見たの初めてだったし、巧くんの身には実際起きてることだったから、私、急に恐くなっちゃって…。でももう、大丈夫!もしもう一人の私が出てきても、巧くん達がいるし…もしかしたら、その子と仲良くなれちゃうかもだし!…うふふ、そう考えるとおかしくなってきちゃった」 緊張の糸が切れたのか、希色はそのまま腹を抱えて笑い出すと、しばらく笑いが止まらなかった。 巧は希色のその様子を見て、とりあえず今日言ってしまわなくてよかったと思った。この様子なら、今度真実を告げたとしても、希色ならきっと今日のように受け止めてくれるだろう。 巧は一人で頷くと、わずかに笑みを浮かべ、 「…じゃ、行こっか。おばちゃん心配するしさ」 「巧くん達には心配かけちゃったけどね。うん、行こう!」 その後希色の家までの道中、希色の笑顔が絶えることはなかった。 希色の家の前。玄関の戸のところで希色と母親が話をしているのを、門の外で巧と亮介はその様子を見守っていた。 希色の家は母親の趣味なのか、全体がメルヘンチックに綺麗にまとめられている。綺麗に刈り揃えられた芝生に、白い小さなブランコのある庭。建物自体もちょっとしたお城のようで可愛らしい。 巧は希色が、母親が今度は噴水を付けようとしているという話をしていたのを思い出した。 「ただいま、お母さん。ごめんね遅くなっちゃって。恥ずかしいんだけど私、巧くん家で寝ちゃったみたいで。しかも送ってもらっちゃった」 希色が巧達の方を振り返りながら、事のいきさつを話す。 「そのまま泊まってきてもよかったのよ?うふふ。…あら、何だか顔色が良くないみたいだけど…?」 母親というのは子どもの変化には敏感である。 すでに涙のことなど忘れかけていた希色は、その指摘に内心驚きながら答える。 「えっ…?あぁ、寝起きだからそう見えるんじゃないかな?…やだもう、私どうして寝ちゃったんだろう、恥ずかしいなぁ」 希色はそう言って靴を脱ぎ、玄関から上がろうとしたが、そのままドアの方へと寄って行き、親子で開いたドアから巧達の方を向いた。 「巧くん、それから…浅葱くん、だったかしら?ありがとうね。ちょっと上がっていって、って言うような時間じゃないから残念だけど、今度ぜひ家にもいらっしゃいね。気を付けて帰るのよ?」 巧達は希色の母の言葉に小さく礼をする。 「そうだよ、その時はまた何か作ってご馳走したげるよ!」 母親の意見に希色も同調する。 「ありがとう、喜んで行くよ。また明日ね!」 「立花さん、料理上手いから楽しみだな~。その時はまた呼んでよ!んじゃね!」 巧と亮介が手を振って帰ろうとすると、 「あ、ちょっと待って!」 と希色がそれを止めた。 二人が「ん?」といった顔で続きを待っていると、彼女は 「明日は作戦続行だからね!マジョンナ先生のこと、忘れないでよ?じゃあね~」 とだけ言い、「バイバイ」と口パクで手を振ると、ドアをバタンと閉めた。 「…」 巧が閉められたドアを見つめたまま黙っていると、 「…立花さん、しっかりしてるなー。そういうことはちゃんと覚えてたんだ…」 と亮介が呟いた。 「んじゃ、俺も帰るわ」 希色の家から巧の家に戻ってくる途中、いつもの分かれ道で、亮介は巧とは別の道に歩みだしながら振り返って言った。 亮介の家は巧や希色の家よりはそこそこ北に坂を上ったところにある。その辺りは山が近いので、巧の家の辺りよりさらに静けさの増した環境である。 「あぁ、うん。親父さん、相変わらずなん?」 巧が言うと、亮介は苦笑いをした。 「まぁね。最近じゃ口も聞かないし。俺にとってはその方が楽だけど」 「う~ん、俺は良くないと思うけどな…色々言われてる時の方がまだいいよ。会話がなくなるのはまずいんじゃ…」 「何でか知らんけど、親父は俺にばっかつっかかってくるしな~、母さんはすでに俺を諦めてる感があるし」 と、そんなことを亮介は笑顔で言ってのける。 亮介は両親と仲が上手くいっていない。兄弟は姉と弟がいるが、兄弟仲はいい。ただいつ不安材料となっているのが亮介であるため、親からはあまり歓迎されていないといった感じだろうか。 巧も亮介の家に遊びに行った際、彼の父親と対面したが、近づくことのできないオーラを放っていた。巧が笑顔で挨拶をしても、「どうも」というだけで笑顔は返ってこなかった。しつけに厳しい父親らしく、生活面において衝突することがしばしばだという。言われてみれば、キャラに似合わずフォークやナイフの使い方が完璧だったのが印象にのこっている。 一方勉強面で悩んでいるのは母親である。お互い話はするようだが、亮介は成績が悪い(学年で下から五本の指に入る)ためか、最近は期待されることがなくなってきたとのこと。その代わり、小学生の弟は勉強もできるようで、今から英会話に塾など、過度な期待をかけられてかわいそうだ、と亮介は以前に話していた。 「でもさ、亮介は勉強以外で頑張ってたんだしさ、俺はそれでいいと思うんだけどな~」 巧は本当にそう思っていた。陸上部では1、2を争う実力の持ち主だったし、部活以外でも自主トレに励む姿を見かけていたからだ。 巧の発言に亮介は首を振る。 「ま、そうは言っても部活はもう終わったし?受験が近づくにつれて、母さんはだんだん機嫌が悪くなってくるわけよ…あ~嫌やなぁ期末とか受験とか」 「まぁその辺はおばちゃんの気持ちもわかるけどね。マジで頑張んないと亮介ヤバいんじゃない?」 と、ハッパをかけるつもりで言ったのだが、このあたりはさすがというか、亮介は得な性格をしている。亮介は尚も笑顔で言ってのけた。 「あー、多分大丈夫だって。陸上の推薦で行けるし」 「は?大丈夫って言ったって…そりゃ可能性はあるけど、お呼びがかからなかったらどうするんだよ?」 「ははは、そんなことタクが心配しなくていいって。それにタクだって推薦もらえるんじゃないの?生徒会とか入ってるし、成績もいいしさ」 巧は生徒会において生活委員長の役目を務めている。と、言っても担任からの熱烈な頼みに元々人の頼みを断れない性格の巧が根負けし、引き受けている形なので、生徒会でバリバリ頑張っているという思い入れは巧にはない。 「え?…全然そんな期待してないよ。成績いいって言ったって、定期テストがそこそこいいだけで、模試は全然だしなぁ。要するにその場しのぎってだけ?頑張らなきゃなぁ」 実際、推薦入学なんて全く考えていなかった。まぁ推薦がもらえるものならもらいたいけれど。みんなが塾に通っている手前、模試の成績が最近下がり気味なのは焦りを感じる。 巧はそこまで考えて思い出した。 「そうだよ、今日は元々勉強会が目的だったのに」 「あ…そう言えばそうだなー。今思うとアレが本当に起きたことなんかどうか、俺も自信ないや」 「ごめん、あんなことに巻き込むつもりはなかったんだけどさ」 巧が謝ると、亮介は眉をしかめて、 「…ほんとだよ。全くタクのせいで」 とそこまで言うと意地悪くニヤリと笑った。 「…って言うのは嘘だけど!タクの方が被害者なんやし、俺のことなんか気にしてる場合じゃないやろ?今から家帰ったら大変そうだなー。あぁかわいそうなタクちゃん」 それを考えるのは意識的に避けていたのに。途端に帰るのが億劫になり、黙り込む巧。 「ま、二人ともいい奴そうだし?タクならなんとかできるって!んじゃ俺も早く帰らないとマジで怒られそうだし、明日無事に学校来るように祈っとくよ。んでもって立花さんも言ってたように、マジョンナとか言う先生を拝まなきゃな!じゃ、また明日!」 亮介はそこまで言い切ってしまうと、そのまま家へと向かって走って行ってしまった。 「…」 無責任な奴。 一瞬はそう思ったが、いざという時は亮介も協力してくれる。場を和ませてくれる亮介には感謝していた。それを思い返して、巧は一人、ニンマリとした。 7 自分の家の前まで戻ってくると、二階部分に明かりが灯っていた。 「はぁ…」 今日は寝付くことができるのだろうかという不安を抱きつつ、ドアを開けて中に入る。 チヂミのにおいがまだかすかに残るリビング、一連の出来事はやはり現実だったのだと、複雑な気持ちになった。 そのまま二階に上がろうとしたが、 「あ…」 テーブルの上の、今回の事件の元凶となった物を見つけ、そちらへと方向を変えて歩む。例の、二人の「もう一人の自分」を生み出した手鏡である。 触ろうかどうしようか迷ったが、これをどう処理してよいかミクタに聞いておいたほうがいいと思い、手鏡を手に取る。もちろん、鏡の面は見ないように注意を払いながら。 もし面を見てしまって自分がもう一人増えてしまったら…などという恐ろしい考えが浮かんできて、巧は慌てて首を振る。 手鏡を手にし、明かりが漏れている自分の部屋を目指し階段を上る。 「ミック?」 呼びながら部屋へ入ったが、応答もなければ部屋には人っ子一人いない。 「あれ?」 他の部屋にいるのかと思ったが、ベッドの上に何か書かれた紙切れが置かれているのを見つけた。誘われるままに手に取り、読んでみる。 「帰ってくるのを待っててもよかったけど、 ボク達がいるとどうせ寝られないだとか何とか 文句を付けられちゃかなわないし、 ロッキーとも話しとかなきゃならないこともあるしね。 また例のように鏡の向こうに行っとくことにするよ。 聞きたい事は山ほどあると思うけど、また今度。 今日のところはボクの気遣いを有難く受けて ゆっくり休んで。 それじゃ、また気が向いたら出てくるよ。 」 ミクタからの伝言だった。 「何だよ…」 相変わらず引っかかる言い回しにむかつきながら、 「どうするんだよ、これ。無用心だなぁ…」 持っていた手鏡の面の方を無意識に見そうになり、慌てて裏を向けると、そのまま自分の机に伏せておいた。 「ふわぁぁ」 大きな欠伸が突いて出る。 時計を見ると、まだ十一時前である。 いつもならもう少し起きて勉強でもするところだが、今日一日で色んなことが起きすぎて、今になってどっと疲れも出、とてもそれどころではない。 今日は寝てしまおうと思いベッドに横になろうとしたが、まだ歯を磨いていなかったことに気付き、急に重くなった足取りで一階の洗面台を目指した。 「そういえば…」 ミクタが出てきてから今日一日、まだ鏡を見ていない。 そのことに気付くと、途端に洗面台へ行くのが恐くなった。 もしかして、鏡を見てももう自分の姿は映らないのではないか? 巧は心臓をバクバク言わせながらも、部屋へと引き返すことなく洗面台の前へと来ると、心を決めて電気を付けた。 ポチッ。 蛍光灯が点滅しながら辺りを照らし出す。 そして恐る恐る鏡に向けて顔を上げる。 「……!!」 ……。 鏡の向こうには、今の自分そのままを映した巧がそこにいた。 ……? 鏡の向こうの自分が違う動きをしていないか、まじまじと見つめて確かめてみる。 「大丈夫…みたいだ」 そう言った巧の口の動きもそのまま鏡は映し出している。 (いつでも同じ動きはしてあげられるんだし。別にそれでいいんじゃない?) 途端にミクタがそう言ったセリフを思い出した。 「まさか、ねぇ」 疑問に思いながらも鏡をコンコンと叩きながらミクタの名を呼ぶ。 「ミック!?本当に真似してるんじゃ…?」 鏡を叩いておいて、その自分の手が鏡の向こうへとすり抜けた時のことを思い出したが、これも頭を振り、自分を落ち着かせようとした。 ミックはロッキーと話をしているんだし、こんな真似をいちいちやっていては話などできないはずなのに。 何度も名を呼び反応を確かめてみるが、目の前の自分が変化を起こすことはなかった。 巧は諦めて歯を磨くことにした。 もしかしたらこれは、全部夢だったのかもしれない。 磨きながら、今日一日起こったことに考えを巡らし、明日からの生活への大きな不安と、もしかすると朝起きたら何事もなかったようにそのまま過ごせるかもしれないという期待が、心の中で巡り巡った。 歯を磨き終わり、自分の部屋に戻った時、再びミクタの残したと思われる紙切れを見つけた。巧はその日最後の大きなため息をつくと、何も考えないようにして、そのまま眠りについた。 ←よろしければ読み終わりの印にクリックをお願いしますm(__)m ジャンル別一覧
人気のクチコミテーマ
|